肱川老舗の蔵元 養老酒造株式会社代表 山内 光郎さん(大洲市)

──今回は、大洲市肱川の老舗蔵元、養老酒造代表の山内さんにお話を伺います。

──山内さんで何代目になるんでしょうか?

 私で3代目になります。1921年に創業し、再来年100周年を迎えます。

──100年!すごいですね。そもそも家を継ごうと思ったきっかけは?

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 私自身は子供の頃には正直継ごうとは思っていませんでしたが、就職活動をしているうちに、やはり小さくても一国一城の主になるということを極めてみたいと思い家業を継ぐと決め、大学卒業後新居浜で5年程修行させてもらって以来30年近くこの仕事をしています。

──今年から息子さんも一緒にされていると伺いました。

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息子さんと

 息子は帰ったばかりなので、今年5月半ばから6月下旬まで東広島の研究所で、1ヵ月半ほど杜氏を育成するための研修に行ってきました。全国から22名が集まったそうです。1ヵ月半習ってきたからといってすぐにできることではないですが、そこで刺激を受けたり、自分が困った時に相談できたり、情報交換できる人が全国に出来たことが研修に行った財産だと思っています。

──肱川にお住まいではなかったんですね。

 全く別の仕事をしていて、被災後は時々片づけを手伝いに帰ってきていたのですが、昨年11月だったか「帰るわ」と言って向こうの仕事を辞め、1月の仕込みから一緒にやっています。

──今は7月なのですが、この時期はどのような作業を行っているのでしょうか?

 お酒造りは1月から始まって、3月に仕上がります。それから濾過や瓶詰を経て、今は販売の時期になります。従業員は僕と妻と息子とあと醸造期には2名ほど雇っていて、1年間で出荷する量を計5人でやっています。県内でも一番小さく、現在大洲市では唯一の造り酒屋です。1月から3月の間はほぼ休みなく働いています。

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「風の里」

──何種類ほど作っているのですか?

 種類は少なくて、今年(2019年)作ったのは4種類です。『養老』というスタンダードな上撰のお酒と、『風の里』の「特別本醸造」「純米吟醸」「純米にごり」を作っています。
 一番よく出ているのは「純米吟醸」で、今年初チャレンジしたものです。以前は「純米酒」を作っていましたが、昨年被災した後同じことをするのは面白くないな、どうせならランクアップして上を目指そうと思いました。おかげさまで評判はよく一番売れています。

 このあたりだと、大洲市はオズメッセ内の「小谷酒店」、「酒乃さわだ」、「白石酒店」、まちの駅「あさもや」、内子は「横田酒店」、その他は道の駅などに置いてあります。あと通信販売やふるさと納税でも手に入ります。

──『風の里』の名前の由来はなんですか?

 合併前の「肱川町」だったときに、「風」をテーマに何か新しいことをしてみようという話が役場から持ち上がったのが、ちょうど特別本醸造を造ろうという時でした。新居浜から帰ったばかりだったので、じゃあそれを造ろうということになり新しいラベルを作って出しました。その当時は特別本醸造のことを『風の里』といっていたのですが、今は『風の里』というブランドで「純米吟醸」「純米にごり」のようにシリーズ化しています。

──2018年7月の豪雨災害では、大変な被害を受けたようですが・・・。

 すでにダムが放流を始めていた朝7時半ごろ、甥の結婚式に出席するため家を出て空港に向かっていました。でも松山までも行くことができず、帰るに帰れないので小高いところで水が引くのを待っていました。それから帰ってくるとものすごい惨状で・・・、一面に泥が20cmほど溜まっていて、出荷できるはずのものが全部流されてなくなってしまいました。その中で「にごり酒」だけ、冷蔵庫の中で一部助かったものがありました。もちろん冷蔵庫は壊れているのですが、それを『城川郷』を作ってる中城本家酒造さんがトラックで来てくださって、「うちの冷蔵庫に入れときましょう」と持って帰って冷蔵庫に入れてくれたので助かりました。在庫はそれだけでした。

──半年で酒造りを再開できるものなんでしょうか。

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壁には浸水の跡が

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 昨年の7月7日には、帰って戸を開けた瞬間に「もう終わった」と思いました。片付けに来てくれる酒造組合のメンバーはよく分かっている人たちなので、「今年は一回休まんと無理やない?」と言われる方もいました。

 毎日休みなく片付けながら「目標がないと前に進めないかもしれない。」と思い始め、来年もまた同じように年が明けたらすぐ1月からお酒を造ろう。と夫婦で11月頃には心に決めました。

──11月に思い立ったのですか?

  実は9月頃から考え始めていて、「来年やろうと思う」というと酒造組合の人にも「本気?」と言われてました。でもその中に「やると思とったわ」と言ってくれる人もいて。今考えると無謀なことをしたな、と思いますよ。でも仲間やボランティアさんが、隣でだらだら汗を流して、うちのために片付けてくれるんですよ。それを見たら「ああ、これは簡単に諦めたらいかんな。」と感化されるところがあって。

 片付けは、3mの高さまで水が来て家の中もぐちゃぐちゃだったので、いちいちボランティアの人に「これはゴミ」、「これは必要なもの」と指示を出すのが大変でした。もうこれはいかんな、と思って、なるべくお酒に直接触れる道具については諦め、新しく購入する方向にしました。全部を分解清掃できないですし、したところで細かい汚れが浮いてきます。ホースも全部買い換えました。目に見えないお金はたくさんかかりましたね。やはり人様の口に入るものなので、新しくしなければね。部品や備品も足りてないのですが、来年の造りに向けて徐々にそろえていかなければと思っています。

──作業場を見せていただいてもいいですか?

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タンクの並んでいた蔵

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 この場所はお酒を仕込む場所です。ここ一帯に30基ほどタンクが並んでたんですが、それが浮いて天井を破って、タンク同士がぶつかって、昔のホーロー素材のものなのでひびが入って使えなくなりました。天井はタンクで穴があいたので替えて、壁はきれいに洗ってもらって殺菌しました。こちらが新しくしたステンレスのサーマルタンクで、温度を一定に保つ機械です。これで純米吟醸を仕込みます。これをもう少し増やしたいなと思っています。

──このサイズのタンクが浮くなんて・・・。
隣の部屋には大きな煙突がありますね。昔からあるものなんですか?

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浮き上がっていた釜

 こちらの部屋はお米を洗って蒸すところです。煙突がありますが、昔は階段があって下に降りて木をくべてこの和釜を沸かしていました。そのときの煙を逃がすのに使っていた煙突です。今は使っていません。これも解体したかったんですが、この部屋丸ごと解体は出来るけど煙突だけを壊すことができないといわれ、部屋を壊してしまうと作業することができなくなってしまうので、そのまま残すことになりました。被災した当時はこの釜が浮いて出ていたんです。蔵は全部で3棟あったのですが、そのうちの2棟を壊しました。

──精米から瓶詰め・出荷するまで、すべての作業をこちらでしているのですか?

 精米は委託精米といって外注にしています。時間もかかるし、精米後は摩擦熱で当分寝かせて冷やさなければいけないんです。そのまま水に入れると割れてしまいます。割れると糀にならないのでだめなんです。そういった意味でもなるべく等級の高いお米でないといけません。等級が下がると割れてるお米も混ざってくるんです。普段食べているよりも、上等なお米なんですよ、『松山三井』や『しずく媛』も。『松山三井』は酢飯で使われるくらい、食べても美味しいです。

──今工事しているのは、被災されたご自宅や作業場を作っているのですか?

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修復や工事の最中でした

 お酒の「麹室(こうじしつ)と「酛場(もとば)」とい ってお酒のもとを作る部屋、プレハブ冷蔵庫を置くスペースと事務所を作っています。自宅はまだできないですね、借りたままです。来年かな。

 今は小さいタンクが数本ですが、次の醸造期までに揃えていかないと。今年はちょっと少ないですが、来年は造る量を少し増やしたいなと思っています。それに今年は愛媛県産の『山田錦』を押さえてあるので、これでさらに新しいことにチャレンジしようと思います。

──大変な時期にお邪魔させていただき、どうもありがとうございました。
復興&100周年に向けて頑張ってください!

山内 光郎さん(大洲市)

肱川老舗の蔵元 養老酒造株式会社代表

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