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プロフィール

山本奈穂(やまもとなほ)

昭和53年生まれ。愛媛県八幡浜市出身。東京音楽大学付属高校、東京音楽大学を経て、ハンガリー国立リスト音楽院修了。第二回パドヴァ国際コンクールピアノ部門第二位、イブラ・グランド・プライズ第十四回国際コンクールピアノ部門「リゲティ賞」ほか受賞多数。平成十六年、松山市、瀬戸町、三崎町にて初のソロリサイタルを開催。将来有望な若手ピアニストとして国内外の演奏会に出演するかたわら、愛媛県内の学校でピアノコンサートを行い、地域のクラシック音楽普及に務めている。現在はハンガリー在住。

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 イタリアのシチリア島で毎年開催されているこの大会に出場を決めたのは、直前に修了した留学の総仕上げの意味と、様々な音楽分野の審査員から詳細な講評をいただいて、今後の励みにしたかったからです。
 数ある部門の中で、私は百人近くがエントリーするピアノソロ部門に出たんですが、本番では不思議と緊張せず楽しく弾けました。しかも演奏後の舞台裏に、審査員や観客の方が次々に来て誉めてくださるという初めての経験ができただけで、十分満足していました。実は結果発表の時も、自分の名が呼ばれるとは全く予想していなかったので、ヒールも履かず、会場の隅でワインを飲んでほろ酔い気分(笑)。入賞者七人のうちの一人に選ばれ、特に難曲といわれるハンガリーの作曲家・リゲティの曲が評価されたことは、ピアニストとして大きな自信になりました。

 ピアノは5歳から習い始め、父の仕事の都合で何度も転校したものの、ピアノ教室は一度も休まず通いました。といっても、最初は単に楽しいからというだけ。本格的にのめりこんだのは、小学四年の時、知り合いがピアノコンクールで入賞したことに触発されて出場した「ピティナヤングコンペティション」からです。たまたま予選通過したことで、やればできるという自信と、「ピアノが一番好き」という自覚が芽生えました。
 その後は松山の教室に通い、コンクールにも毎年挑戦し続けて、中学2年の時のピティナ全国大会出場を契機に、東京音楽大学付属高校への進学を考えるようになりました。寮生活を条件に両親の同意を得てからは、週末は広島と東京にレッスンに通いながらの受験勉強。何とか合格できたのは両親のサポートと、親身になって教えてくださったピアノの先生方のおかげです。
 授業の半分は音楽教科、しかも実技中心で、まさに理想の環境でした。高校では、外国人や大学の先生から専門的に教えてもらえるレベルの高いコースに入りましたが、定期試験で不合格になるとコースから外されるため、毎日のレッスンは欠かせない。だから毎朝5時半に起きて、寮の練習室を確保するのが日課でした。それでも世界的な音楽家の演奏や、尊敬する先輩方のレッスンを目の当たりにしたりと、"上には上がいる"環境に身をおけたことは良い刺激になったし、得難い経験でしたね。
 また、一人っ子の私には寮生活も大いに勉強になりました。育った環境も進学理由も様々だから、時には相手に合わせることも大事。辛くて泣きたくても一人になれないかわりに、励まし合える友達が家族のようにそばにいてくれる幸せも知りました。結局、大学卒業までの7年間を寮で過ごしたわけですが、これは学校で史上初だったそうで、周囲はかなり驚いていました(笑)。

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 憧れの作曲家・リストの故郷ハンガリーに対する純粋な興味もあって、リスト音楽院への留学を決めました。国内で最難関といわれるこの学校ではひたすらレッスンの日々でしたが、師事する先生はどんなに長い曲も暗譜をして臨まないと指導を拒否する厳しい方なので、留学中は必死でついていったという感じです。実はハンガリー人の音楽レベルは非常に高く、演奏に対する評価もシビア。"お世辞"も全くなしという国民性で、演奏会では随分厳しい指摘もされましたが、私にとってはかえってそれが上達の原動力になりました。

 普段はブダペストの一般家庭にホームステイしながらの自炊生活でしたが、当初は何より"食べること"に苦労しました。というのも、学校や滞在先では英語が通じるものの、街ではハンガリー語のみ。留学前に一応勉強してはいたんですがほとんど通じず、時にはオドオドした私の態度に業を煮やした店員から肉を投げつけられ、買い物が恐い時期もありました(笑)。でも今は、相手を思うからこそ率直に話すというハンガリー人のストレートな表現は、自分の性格に合っていると思います。

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 昨年2月、西予市宇和町で初めて高校生の前で演奏させていただいたんですが、私としてはピアノを弾くことより、クラシック演奏に対する反応が心配で緊張しました。ところが予想以上に大きな拍手をいただき、後で受け取った生徒たちの「ピアノは手だけでなく、体全体で弾くものと知った」「ピアノをやめていたけど、演奏を聴いてまたやりたくなった」「田舎育ちの自分でも、夢を叶えたい気持ちがあれば実現できるとわかり、勇気づけられた」といった感想文に感激しました。年末に演奏会を開いた大洲市内の小中学校でも、感じたままをぶつける子供たちの声を聞いているうちに、地元でクラシックを身近に感じてもらえる環境づくりを、自分ができればいいなという思いが強くなりました。

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 現在は今年3月までの予定で、ハンガリーで個人レッスンを受けています。その後、どこを拠点にするかはまだ決めかねていますが、とにかくピアノが大好きだから演奏活動を続けて、最終的には「自分にしかできない演奏」を極めたい、それにはまだまだ自己研鑽が必要と感じています。
 一方で、これまで培ってきた専門的な知識や技術を、愛媛の皆さんに伝えたい、教えたいという気持ちもあります。ですから今後も地元での演奏活動を続けるつもりですし、音楽家やピアニストを目指す方の指導などもできればと思っています。

 小さい頃は、よく友達と段ボールの切れ端で肱川の土手を滑り、菜の花畑をかけ回って、メダカを捕ったり草笛を作ったりしていました。今思えばそうした経験が、上京してから随分役立ちました。自分が遊んでいる間に音楽を勉強していた同級生との実力差を、私は何倍も努力して縮めなければならないという覚悟ができたし、自然とじかにふれあった体験は音楽表現に生かされましたから。
 大洲弁のおかげで東京では友達がたくさんできたし(笑)、十五歳まで繰り返した転校にしても、見知らぬ土地の良さを見つけて順応する習性が身についていたせいで、ホームシックもなく寮生活や留学を終えられました。そして、広く音楽の楽しさを教えてくださった恩師と出会わなければ、今の自分はない。ふるさとで過ごした時間は、やはりかけがえのないものです。
 リサイタルの際には西伊予の皆さんの生の声をたくさん頂戴し、さらに奮起できたことに大変感謝しています。未だ「芸術鑑賞は特別なもの」という風潮がありますが、生活の一部として芸術にふれ感動することは、人生においてとても大切だと思います。一人でも多くの方にピアノやクラシックを身近に感じていただける環境づくりのためにも、積極的に演奏活動を行っていくつもりですので、これからも応援よろしくお願いします。

( 平成18年3月広域情報誌掲載インタビューより )

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