写真

プロフィール

宮本益光(みやもとますみつ)


昭和47年生まれ。愛媛県八幡浜市出身。東京芸術大学音楽学部声楽科卒。同大学大学院修士課程を経て、現在は博士課程在籍。奏楽堂日本歌曲コンクール奨励賞ほか受賞多数。平成6年、バリトンのソリストとしてコンサートデビュー。平成8年にはオペラデビューを果たし、以来数多くの舞台に出演するほか、指揮、字幕製作も行うなど多方面で活躍。かたわらではオペラの日本語訳詞上演についての研究や、音楽指導にも力を注ぐ。今年7月の宮本亜門演出「ドン・ジョバンニ」主演やCD発売も予定されており、今最も注目される若手声楽家の一人

バックナンバーはこちら

 音楽の道を選んだ原点は、江戸岡小学校4年の時に入った鼓笛隊。以来「音楽の楽しさ」に魅了され、小中学校で教わった恩師のような音楽教員になりたいと思うようになりました。高校入学直後に進路相談すると、音楽なら専門分野が必要と言われたんですが、当時の僕には取り立てて得意なものなどない。とはいっても、音楽の先生は授業の半分で歌を教えるはずだから歌が嫌いではまずい。では声楽を学ぼうと決意し、佐藤陽三先生(現愛媛大学名誉教授)の松山のご自宅で個人レッスンを受けました。週末になると汽車に乗って通うという生活を、3年間続けました。

 そして、東京芸術大学に進学。僕が進んだ声楽科では、驚くほどハイレベルな指導を既に受けてきた学生も珍しくない。しかも東京では、音楽会は毎日のようにある。音楽を学ぶ環境が激変して、自分というものをしっかり持っていないと続けられないと感じましたね。そのせいか、入学当初は故郷のことをすっかり忘れていたようで、夏休みの帰省の際、実家の鴨居に何度も頭をぶつけました(笑)。

 現在は 、 東京芸大の大学院博士課程に在籍し、オペラの日本語訳詞上演について研究しています。一種の替え歌とも言えますが、単なる言葉の置き換えでは作品の本質は伝えられない。また、その公演の演出や歌手の解釈によっても表現は様々。それらをどう汲み取ってドラマとして成立させるか、演奏者ならではのアプローチを試みています。

 初舞台を踏んだのは、大学卒業時の平成6年。東京文化会館という2,500人収容の大ホールが舞台。ヘンデル「メサイア」のソリスト(独唱者)を務めましたが、今思い出しても緊張します。歴史ある演奏会に出演して名前を残せたし、当時のベストの力を出したから悔いはないけど、お世辞にもうまくいったとは言えない出来でした。

 その2年後、「ドン・ジョバンニ」でオペラデビューを果たしましたが、主役のオーディションには落選。実はその頃ややうぬぼれがあって、主役もとれると思っていたのでショックでした。冷静に考えれば、演技が下手だったから当然ですけどね(笑)。

 印象深いエピソードは、「ドン・ジョバンニ」の初舞台から3年後、オーディションなしで主役を務めた時は感動しましたね。しかもイタリア人演出家で、セットはスペインから、衣装はミラノ ・ スカラ座からという豪華版。メディアからも注目されたこの公演に出たことで、一気に仕事の幅が広がりました。

 最近では、昨年6月に出演したオペラ「欲望という名の電車」。劇中、粗暴な亭主役の僕が服を脱ぐというシーンがあるんですが、この仕事の話をいただいた頃は痩せていたんです。そこで毎日プロテインを飲み、定期的にジムに通って体重を11キロ増やして、肉体派に変身しました(笑)。

 僕にとって、いい演奏家と評価されるのは本望ですが、それ以上に、音楽やオペラについてよく知らない人から「おもしろかった」と言われる方が楽しいんです。ところが演奏活動が忙しくなればなるほど、観客との距離はどんどん遠くなる。それなら自分から近づくしかないと思い、公演先で積極的に学校の先生方と交流し、ボランティアで授業をさせてもらっています。また、様々なジャンルで活躍しながら音楽をやりたいという人たちと、コーラス集団「アンサンブル・ソネット」を結成し、現在は横浜と広島、愛媛で指導しています。

 僕は 、 こうした活動こそ、自分が音楽をやる理由だと意識しています。教員という昔の夢も叶うし、何よりみんなと作り上げるという音楽本来の楽しさが実感できるんです。

 オペラは稽古に4ヵ月程度を要するので、オファーが入るのは公演の1、2年前から。リサイタルもほぼ同様で、現在は2年先までスケジュールが決まっています。公演のない時は昼と夜に稽古があり、帰宅は深夜。それから翌日の準備や執筆の仕事を片付ける、の繰り返し。でも、自分のやりたいことで生活できている喜びがあるから楽しいし、我ながらよくやっているという満足感もあります。

 幸運にもここ数年は大役をいただくことが多いんですが、当然プレッシャーもあります。しかも本番で声が出なければ、評価はがた落ちの厳しい世界。だから風邪だけは注意するけど、体調管理らしいことはしていませんね。辛いものを避ける、本番前日は酒を飲まないといった節制は、僕の場合は余計ストレスになりますから(笑)。

 今後の目標は、演奏家としては、日本人がヨーロッパのオペラを聴きにいくように、日本のオペラや歌を外国人が日本に聴きに来るという環境の足がかりを作りたいですね。

 そして、一般の方と音楽の接点をもっと持ちたい。一流の場で修得した僕なりの知識や経験を、学校に限らず老人ホームなど様々なところで生かす、つまり音楽を特別なものでなく日常化させる活動をライフワークにしたいと考えています。

 僕にとっての故郷、八幡浜といえば、夏休みに自転車で三瓶の海まで泳ぎに行ったり、「二宮忠八翁記念飛行大会」で模型飛行機を作った思い出が印象的。そして、常に「僕にはいなかがある」と安心できる存在です。5年前に都内から横浜に転居したのも、どこかで故郷のような自然のある風景を求めている表れだと思っています。

 普段は音楽漬けの毎日ですが、たまの帰省で完全に音楽から離れて過ごしていると、これこそ “ 素 ” の自分だと強く感じる。仕事の時の虚勢もなく気楽でいられる、だから僕にとってふるさとは、やはり必要不可欠な場所です。

 今、愛媛や近県を含め、全国各地で演奏活動をしています。5月28日には松山市民会館でリサイタルを開きますが、これに限らずどこかで僕の名前を思い出すことがあったら、見に来てくださるとすごくうれしいです。

(平成16年3月/広域情報誌掲載【インタビューにて】)

ページトップへ