プロフィール

中村修二(なかむらしゅうじ)

昭和29年5月22日 愛媛県西宇和郡伊方町(旧:瀬戸町)生(大洲市出身)
GaN系青色LED,青紫色半導体レーザの発明者。
20世紀中には絶対無理、と言われた夢の「高輝度青色発光ダイオード」を開発、ノーベル賞に最も近い日本人と評価される。
平成12年2月~ カリフォルニア州立大学サンタバーバラ校材料物性工学部教授。

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 私には、瀬戸が一番のふるさとですよね。勉強はしていませんから、遊んだ思い出だけです。海や砂浜、山で遊んだ楽しい思い出です。転校で大久を出るとき、当時は交通手段が船しかなくて、担任の河野先生が生徒10人くらい連れて、港まで見送りに来てノートとか鉛筆をくれたんです。それが、すごく嬉しかった。船に乗ってもずっとみんなが手を振ってくれて、とても感動しました。河野先生は、すごくきれいな先生で、あこがれの先生でした。
 大洲では、やっぱり喜多小学校の頃が一番楽しかった。冨士山とか高山、神南山によく登っていました。探検じゃいうて、道なき道を行きよりました。それがとにかく楽しかった。大洲北中学校・大洲高校はバレーボールですね。運動神経はいいほうじゃなかったから辛かった。友だちと仲良くしたいというのがあって、ずっと続けました。
 高校の時、修学旅行で東京へ行って都会は嫌になりました。仕事は東京でもいいけど家族ができたら田舎がいいなと思っていました。のびのびと自由に遊べるという雰囲気が子供にとってはいいなと。
 食べ物の思い出は、瀬戸で育ったから魚は好きですね。じゃこ天も大好物。大洲では、やっぱり「いもたき」のいもですね。あれが一番。

 現在の生活は、朝6時30分に大学のオフィスに出て、講義以外はオフィスで夜10時くらいまで仕事をしています。投資家から「早くベンチャー会社始めてください」というような電話が週に5、6本かかってきます。来客も多いですし、「コンサルティングしてくれ」とか、とにかく忙しい。雇っている6人の学生と助手1人の人件費だけで年間20万ドル(約2,600万円)。あと設備費、維持費等で1億円は必要です。これを全部自分で集めなければ「破産」ですから。向こうの大学は厳しいんですよ。お金が入らなくなって学生を雇えなくなったら、やめなくてはならない。だから、自分を売り込んで民間投資等からお金を集める必要があるんです。

 日本は、もう大学受験はなくしてほしいんです。小学生くらいまでは夢があるでしょう。大きくなったら何になりたいとか。ところが、中学・高校になったらそんな夢はほっといて、目標が大学合格なんですよね、みんな。大学通った瞬間に夢がなくなるんですよ。遊んでいても卒業できますからね、日本は。卒業する時にも夢はない、自信もないでしょ。不安になって安定志向の大手企業とか公務員になりたがるんです。そして、40・50くらいになって、人生これで良かったのかって疑問がわくんですよ。それに比べてアメリカは受験がひどくないんで、小学生が抱いている夢をずっと追求したまま、高校・大学までいけるんですよ。大学でも夢を持っているから自信がつくんです。日米の大学生は大人と子供の差がありますよ。

 知れば知るほどアメリカは自由・民主主義ですよ。みんな平等にチャンスを与える。日本では、学歴はいるわ、年功序列はあるわ。戦後は、それで良かった。欧米の技術を改良して物を作った。それがずっときてバブルの最盛期まで続いたんですよ。アメリカは、その頃日本の技術を学べと日本に来ていたが、製造業はやめて創造性のある製品を作ろうというシステムに変えたんです。ベンチャーをいっぱい作れというシステムに。日本はバブル崩壊後も全然変えないから駄目なんです。

 西伊予の一番良いところは、自然の中でのびのび遊び勉強できる環境じゃないですかね。それを大事にしたらいいんじゃないですか。都会では出来ないですからね。これからはこういうところがいろんな面で伸びると思うんですよ。今、経済が悪くなったでしょう。中央の今までのやり方を守ろうとするやり方が駄目なんです。明治維新みたいに地方から変えていかないと。自然に恵まれているところから自由でのびのびとした発想が生まれる。そんな若者がどんどん出てきてベンチャー会社を興してほしい。瀬戸あたりでも、アメリカだったら、絶対高級別荘地になって取り合いになると思う。アメリカでは海が見えるほど高いんですよ。私も引退したら大洲か大久に帰りたいですね。

(平成14年3月/広域情報誌掲載【インタビューにて】)

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